山陰探訪Blog

山陰の極私的名所をぶらりと巡る

島根半島を行く②

30年近く前にも島根半島を横断した。そのころと何が違っているのだろう。いちばんの違いは、県道37号が整備されたことだと思う。現在「旧道」といわれる道路が当時の県道だった。浦々を結ぶ曲がりくねった細い道。車2台がやっとすれ違うことができる幅員で、運転にめちゃくちゃ神経を使った。現在、松江市美保関町七類から同市島根町までは2車線の県道37号が整備され快適に走ることができる。

 旧道が整備されたのが昭和30年代といい、住民に聞くと「画期的な道路」だったと当時を思い出される。なにしろ、それまでは浦から浦の集落を移動する手段は徒歩による峠越えか小船だったそうで、曲がりくねった細い道路でも、それが通るようになったことは十分に画期的な出来事だった

 

「バスが通ったんだけどね、運転手さんが集落の家に寄って一杯振舞われてから運転したこともあった。ガードレールなんかなくて乗客はハラハラだったよ。今じゃありえんけどさ」と住民は回想する。今なら新聞の1面ネタになる犯罪だが、時代感覚なのだろう。田舎では20年ぐらい前まで葬式とかで「車で帰るんだったらビールにしとけ」などという言葉が平気で交わされていた。信じられないことである。

しかし、交通利便性の悪さが、集落ごとの独自性を生み出す一つの理由になったと説明された。確かに、浦々の集落は正月などの伝統行事にほかではあまりみられない独特な作法が残っている。例えば、美保関町片江地区で、毎年1月第2日曜に行われる「墨付けとんど」。無病息災と豊漁を祈る伝統行事で、神輿奉納のほか、人の顔に手で墨を塗りまくるところが特徴。

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観光客だからといって容赦はない(笑)

さらに、島根町野波には「ガッチ祭り」という奇祭がある。

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明治42年に野波の権現山にあった「日吉神社」が、今の氏神の「日御碕神社」へ合祀されたのを機に、1年に1回「日吉神社」に祀ってあった神様が元の地へ里帰りされるものです。その里帰りの道を清めるのが「ガッチ」です。(松江観光協会HPより抜粋)

こうした伝統行事は近年、地域外にも徐々に知られるようになって、墨付けとんどなどは例年多くのマスコミ、アマチュアカメラマンでにぎわっている。

話を元に戻すと、県道37号から日本海を見下ろしながら、特にあてもなく車を西に走らせる。途中、はっとするような場所があって、新明島大橋付近がそう。半島随一のビュースポットだと思う。

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橋上から惣津浦を見下ろす。

青色と緑色が絶妙に入り混じる海がきれい。中央付近の道路横の島みたいなのが「明島神社」。陸続きになっていて、階段を上ると小さな祠があった。

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そういえばこのあたり、よく貝を採りに来ていた。30年以上前のことだ。

明島脇の道をさらに奥に進み、集落の中に入ると、1992年12月に隕石が落ちた「松本家住宅」がある。訪ねたところ、残念ながら家主は不在だったが、近所の住人のおじさんが隕石のことをいろいろと教えてくれた。

「みんなで飲んでたら落雷みたいなすごい音がしたんだ。行ってみたら天井が破れていて、それどころか2階の床を突き破って1階まで石が到達していた。びっくりしたよ」

率直に、人に当たらなくて良かったなぁと思った。隕石の落下後はひっきりなしにマスコミが取材に訪れ、有名タレントも結構来たらしい。

「最近は誰も来んね」とちょっと寂しそうだった。

今でも隕石のレプリカが松本家の横にモニュメントとして設置されている。

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真ん中に挟まっているのが隕石のレプリカ。こんなのが就寝中に頭上から降ってきたらと思うとぞっとする。

惣津浦の集落は昼下がりとあって、のどかな雰囲気に包まれている。白いコンクリート護岸に陽光が反射して眩しい。周囲の山から蝉の鳴き声が降り注ぐ。